本と出会うとき、いつも何かに導かれているという気がします。自分でその本を探すというより、その本が私をひっぱる。ふと本屋に寄ってみようと思う。気が付くとその本の前にいる。いつの間にかその本を手にしている。そして間違いなくそれは私にとって重要な一冊。




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レイチェル・カーソン著 青樹 簗一訳  「沈黙の春」 新潮社
 新潮社の初版は1964年に出版されている。1962年にアメリカで出版されたこの本は農薬、化学肥料の使用に警鐘を鳴らし環境汚染の防止を訴えた、当時としては画期的な一冊です。 
 今、読み返しても新鮮で無農薬有機栽培の基本が満載だと思います。レイチェル・カーソンはこの本の中でチャールス・ダーウインの著書「ミミズの活動による栽培土壌の形成ーならびにミミズの習性の観察」を引用しています。畑の土にミミズがいかに重要か。「(ミミズの)穴ぐらは、土壌を風化し、水はけをよくし、植物の根がよく通るようにする。ミミズがいればこそ、土壌バクテリアの消化作用はまし、土壌の腐敗をくいとめるのだ。ミミズの消化器系を通るうちに有機物は解体し、排泄物によって土壌は豊かになっていく。」土の団粒構造がいかに重要かを説く場面です。
また農薬を使うこと、化学肥料に頼ることが、土に住む微生物を殺してしまい、健全な野菜が育たないことを示しています。現在では農薬は適切に規制され被害はないのだと思いますが、木村秋則さんが「奇跡のリンゴ」で伝えている当時の農薬被害を思い起こし感慨深いものがあります。
 あらためて読み返してみて、無農薬有機栽培の原点であると思いました。



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有吉佐和子著 「複合汚染」 新潮社
 1970年に出版されたこの本では、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が引用されているとおり、カーソンの警告を日本の当時の現状にぶつけ、検証したものといえるでしょう。この中で当時始まりつつあった無農薬有機農業家の活動が紹介されています。「農家の人たちはみんな知っていた。化学肥料を使うと、作物の生育は確かにいいのだが、薬ばかり飲んで育った金持ちの坊ちゃんのように、ひ弱な野菜や果物ができる。何に弱いかといえば、まず虫に弱い。そこで殺虫剤をふんだんに播くという悪循環が生まれる。それを農家の人たちはみんな知っていた。」
 昔から無農薬有機栽培をやってきた世界中の農民がどのようにに農薬と化学肥料の農業に向かって行ったのかが描かれている。「農家の多くは、自家用の野菜や果物には農薬を使っていない。・・・これを知って「けしからん」と怒る消費者たちには、農家の人々に代わって私が答えよう。虫食いの野菜や果物を買って食べる気になれば、農家の人たちは彼らが食べている野菜を売ってくれますよ。曲がった胡瓜を、まっすぐな胡瓜と同じ値段で買うのなら無農薬野菜は間もなくあなた方の食卓に届くでしょう。需要が供給を呼ぶというではありませんか。」
 「私はキュウリのことだけ言っているのではない。トマトでも、ピーマンでも、およそ七種類の野菜は、食べる側からみればみんな馬鹿げた規格があり、値段は大きさや色艶できまっている。畠でとった野菜は、大小とりまぜ、花粉のなごりを止めたまま大きな容器に投げ込んで、重さで売却していけば、農家の手間は省けるし、消費者の食卓には新鮮で、おいしくて、しかも安全なものが届くのだ。主婦はその日のメニューで、大きなトマトは切って使うし、色の悪い茄子は古漬けにする。八百屋の店先で熟しすぎたトマトは、シチューに入れるし、形のいいのがあれば輪切りにしてサラダにするだろう。選別は昔は主婦たちが八百屋の店先でしたものだった。今の主婦たちは、キュウリはまっすぐなものだと思い込んでいる。トマトはまんまるで、薄ピンクの色のものだと思い込んでいる。これば全部、生産者と消費者の間に割って入っている流通機構(つまり商業)のご指導の賜物である。」
 「大自然の中で、人間は他の生物と同じように、折り合って暮らしていく智恵を身につけるべきであったのに、それこそ本来の科学の役目であった筈なのに、ほぼ五十年ばかり前から科学そのものが大きく誤りをおかしていた。その結果、人類は人間の限界を忘れ、石油も、空気も、水にも限界があることを忘れて猛スピードで走ってしまった。」
 「(レイチェル・カーソンが沈黙の春を出版する1年前、)奈良の一開業医が「農薬の害について」というパンフレットを自費出版していた。」梁瀬義亮先生。この人が「山奥の患者へ往診に出かけ、帰路ふと山の木を眺めて考えた。肥料も殺虫剤も使わない山の木が、どうしてこんなに勢いよく伸びるんやろか。育つのやろか。誰が植えたでもないのに、雑木がどうしてこんなに枝をはり、葉を繁らせているのだろう。秋であった。山の木の根は落ち葉で被われていた。やっぱり有機質が土の栄養になっているのだと思い、しかしどうして病害虫が発生しないのか。山の木が虫で全滅したという話は聞いたことがない。梁瀬先生は山林へ入り、木の根に積もった落ち葉の上に蹲って考え込んだ。やがて一枚ずつ落ち葉を上から拾ってみた。落ち葉の色が下へ行くほど枯れている。湿度が高くなっている。下の木の葉ほど温かい。そして土に近いところでは、落ち葉が黒く変色し、指で突けば形は崩れ、黒い土と変わらなくなっていた。これだと思いました。大自然は偉大なものやと思いました。大自然は落ち葉は土中のバクテリアの作用で完全腐蝕するまで土の中には入れていないのです。つまり堆肥が完熟するまでは、土に入れていないのです」それまで堆肥を完熟する前に土にいれて失敗をくりかえしていたのです。
 「複合汚染」は人類が農業をはじめてから科学の発展とともに大きな間違いをする経緯を描き、無農薬有機栽培の展開も具体的に描いている。コンパニオンプランツの紹介も行っている。あらためて読み直して有吉佐和子さんの時代を的確にとらえる感覚と、今無農薬有機栽培をする意味をあらためて考えさせられました。